当院は大正2年4月に創立され、今年100周年を迎えました。
多くのご支援に支えられ、地域とともに存続してまいりました。
新たな100年は名実ともに地域住民の皆様に愛される病院にしたいと思っています。
引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。
平成25年4月1日
第九代 院長 渕上 忠彦



昭和29年、名古屋の高校生が修学旅行で四国へ来る途中の船内で集団食中毒になり、高浜港に着くとすぐに40数名が当院へ搬送されました。看護部長は、旅先での不測の病に胸を痛め、寮にいた非番の看護婦、学院生に非常出動を求め、幸いまだ居合わせた数名の医師と協力して次々と丁寧な診察、行き届いた看護を行いました。
その結果、一人の犠牲者も出ることなく3日後には全員が名古屋に帰ることができました。
その23日後に台風15号が四国を襲い、1,008世帯の家屋が全壊流失するなど愛媛県は甚大な被害が発生しました。この被害状況が新聞等で報道されると、いち早く名古屋の高校から以前のお礼を兼ねた丁重な見舞状と見舞金が届いたのです。
この心のこもった温かいお金を、患者さんのために何か意義のあるものに使いたいとのことで、バラ園を造成することになりました。看護婦や学生自らが慣れない手で土を耕し、堆肥を作り、苦労しながら数ヶ月かけて立派なバラ園を完成させました。このバラ園は、「博愛の園」と名づけられ、患者さんを慰め、道行く人々を楽しませたそうです。昭和50年に姿を消しましたが、いつの日かまた再現される時を願っている人は少なくないようです。

3代目院長の酒井和太郎先生は、高浜虚子に師事するなど俳人としても、とても有名でした
院長会議で上京した際には、各院長がサインをもらおうと色紙を片手に酒井先生のもとへ殺到したとのことです。
当院の院長として、大正9年から昭和23年まで28年間勤めるとともに俳誌「柿」を創刊するなど、地方医療に、そして地方俳界にも大きな足跡を残されました。
昭和29年に松山赤十字高等看護学院の卒業式で、看護の世界に旅立つ若い学生へのはなむけの言葉として祝辞の中で詠まれた「春風や博愛の道一筋に」の句が、赤十字人の心の糧にと病院に句碑として建立されました。
碑石は、石手川上流で洗い清めた花崗岩の自然石です。